スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

中1殺害事件について


彼が暴力を受けている場面を想像すると腹が立ってきます。また、80年代の教師をしていた島根西部の中学校のことが思い出されました。

この事件とは逆に、東京から津和野の奥の中学校に転校してきた女生徒がいました。どういう事情かわかりませんが、両親と離れお祖父さんの家で預かることになったのです。複雑な家庭環境であったであろうに、非常に明るい子供でいつも笑顔で積極的でもありました。しかし、それが災いしました。

小規模な学校で全校生徒が30人程しかいませんでした。裏山は栗の木が茂り、生徒が椎茸栽培をして学校の費用に充てていました。久しく行っていませんが、いまでは限界集落になっているんじゃないかと思います。それほど田舎でした。しかし、生徒が素朴で穏やかかといえば、そうではありませんでした。

赴任する前からかなりいじめがひどくて、問題がありました。しかし、教師である私自身がそれを知りませんでした。何故なら、以前からいる教師が、全くそれを新たに赴任してきた教師に伝えなかったからです。何故か?「白紙で見てほしかった」と当時の教師は言い訳をしましたが、プロらしからぬことです。逃げでもあります。その問題に対して、詳細を知って全員で当たるべきことだからであり、白紙状態で当たって解決するほど簡単なことではないからです。

たぶんイジメがひどかったせいかのか、それを改善するためにその時に新たに赴任したのは校長を始め、少なくとも4人はいたと思います。半分が入れ替わったのです。期待もされたでしょう。しかし、校長は知ってはいたでしょうが、他の三人は本当の学校の姿を何も知らないので、静かで平和な学校に赴任したと私を含めてウキウキしていたでしょう。

しかし、4月の段階で次々に問題が起こりました。すべてがイジメの問題でした。イジメに対して教師の態度は大きく分ければ二つしかありません。対応するかしないか。中途半端はしないに等しいです。どこにそれを分ける分岐点があるのか?それは教師自身がいじめられた経験があるかないか。想像力があるかないか。この二つだと思います。想像力も虐められた経験があるから、起こることでもありますから、結局はイジメ経験の有無といってもいいかもしれません。

自慢にはなりませんが、私は小学校の時に虐められた経験があったので、他のだれよりも見えないところに想像力が及びました。

その女生徒は元来正直で明るい(明るく振る舞っていたのかもしれませんが)子供だったので、虐められると寂しそうに訴えてきました。だれに虐められるかと言えば、上級生の男生徒からでした。通常は女生徒が女生徒を虐めますが、この学校では女生徒同士はほとんどイジメがありませんでしたが、男生徒のイジメは被害者の男女を問いませんでした。

同級同士のイジメもほどんどなかったと思います。ですから、上級生の男生徒に対してみんな戦々恐々としていたと思います。また、職員室と教室が別棟にあったので、休み時間等に教室で何があるのか全く把握できない状況でした。それはたぶん恐怖の時間だったと思います。

校長はどういう姿勢だったのかといえば、彼は故郷が島根東部だったので、腰掛け校長的でした。つまり、この学校で二、三年勤めれば地元に帰れる立場で、それだけが楽しみで何とか数年我慢すればいいみたいな逃げ腰の姿勢だったと思います。でなければ、私ならば教室や職員室を全くちがった位置にしてできるだけガラス張り状態にしたでしょう。アイデアを次々に出して、校長の権限だからできることを限界までしたでしょう。しかし、一切そういうことはありませんでした。

その女生徒は職員室に泣いて訴えてもきました。上履きでガンガン頭を殴られたりしたようです。何故か?それは彼女が明る過ぎるからでした。この学校の生徒は全体に暗ーい体質を持っており、それが支配していました。それは先輩男生徒が上から押さえつけている証でもありました。そういう中では 明るいこと=反抗、という風に捉えるのでしょう。また明るく先生と話すこと自体が、自分たちへの反抗、あるいは自分たちへの従順性の無さと捉えるのでしょう。

三年の男生徒の中には生徒会長がおり、真面目でまともでしたが、その勢力にはかないませんでした。たぶん、その上には卒業したOBが目を光らしていたからかもしれませんし、長年の体質故かもしれません。

その女生徒が虐められる度に、虐めた生徒を呼んで注意したりしましたが、その後には再び虐められるということも起こっていたかもしれません。私は何とか虐められない環境にしてやろうと考えて、その学校に美術部を作る提案をしました。何故なら、部活のときにこそイジメが頻繁だからです。

部活は二つしかありませんでした。陸上部とテニス部です。そのどちらかに入らねばなりませんでした。彼女はテニス部だったと思います。虐める生徒がいるのは陸上部ですが、部室が同じところにあり、しかも職員室からは遠くにあったので、全く死角であったのです。また部活のイジメは運動中ではなく、着替えや後始末の教師のいない時間帯なのです。

私はテニス部の顧問でしたが、テニスをしたこともない私が顧問をしていること自体がおかしいのですが、学校の部活とはそういうものです。その矛盾を解決する目的もあり、私の本来の仕事でもある美術部を作ることを提案したのです。そうすれば、放課後は毎日彼女を保護しながら、美術指導ができますし、とりあえずは放課後のイジメは回避できます。

しかし、この校長はそれを許しませんでした。部活の複数生徒での協力共生みたいなことを理由にしました。たった一人の部活を許さなかったのです。「変化する」ことを好まなかったのでしょう。公務員体質そのものです。

結局、その女生徒はイジメがエスカレートして再び他の親戚を頼りに転校していきました。それは虐める生徒の責任よりも、対応できなかった教師集団の責任の方が重いと思いました。しかし、その責任を感じる風な雰囲気よりも、イジメの対象がなくなってほっとしたというのが、彼らの本音だったと思います。

しかし、それでイジメ問題が解決したわけではありません。女生徒の一年のクラスには真面目で成績も良い男性のクラス委員がいましたが、これがまたイジメの対象になっていました。彼も頻繁に虐められていました。彼は仕返しが怖いので、それほど訴えてはきませんでしたが、彼の表情から十分に窺い知れました。

給食が済む昼休み。これもまた虐められる時間帯です。私はそれを察知して、用事もないのに美術準備室にいました。案の定、彼がやってきました。「みんなが僕を捜しています。かくまってください」と。透明なガラス戸で外から丸見えだったので、「姿勢を低くして」と指示して、昼休みが終わるまで、そこに居させました。

そんなことが何日かしてから、それを知った教頭が私に言いました。「かくまうと、余計に虐められるから止めなさい」返す言葉がありませんでした。いったい、どういう解決をしようとしているのでしょうか。あるいは野方図にやりたい放題にさせたかったのでしょうか。

とにかく、彼らはイジメの悲惨さが想像できない人間のようでした。もしかしたら、この教師たちは子供の頃は虐める側にいたのかもしれません。虐める生徒のいる中学三年の担任は、「彼らも一年二年のときは虐められていたから、今虐める側にたってもしょうがない」という風に思っていたんじゃないかとも私は感じました。

その担任が厳しく生徒を指導している様子を見たことがありませんでした。中学一年のときからずっと三年間同じ生徒の担任をしていたので、どこか同情的なものや共感的なものがあったのかもしれませんが、それは他の面でも同様で、自分のクラスの生徒を不正合格させるために内申書操作を率先してやっていたのもこの教師でした。

イジメの加害者は最も罪を償うべきですが、それが学校のことであるならば、同じように責められるのは教師だと思います。この事件でも、殴られたアザを何故、教師は見逃したのか。その両親も同様です。アザばかりでなく、日頃の様子を見ているだけで、何が起こっているか想像できないようなことでは、教師のプロでもなく、プロの親でもありません。

遅かれ早かれ、犯人は捕まるでしょう。人間関係を辿って行けば簡単なことです。しかし、彼の命は戻りません。憎い犯人ではありますが、そればかりに目を奪われてはならない事件です。周囲で守れなかった人間全員の責任でもあります。また、彼が今一歩勇気を出して、隠岐を目指して家出してほしかったと思います。

関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

daiki

Author:daiki
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。