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風景画にまつわる話と地球の未来

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これは(当地JAの来年のカレンダーの1月のページ)、世界遺産になった石見銀山の町の中です。この町には何度も行ってますが、雪の日には行ったことがありません。しかし、冬になればこういう風だろうなあと想像しますし、このような中で生活している人々の様子さえ、この絵から感じる取ることができます。この町に住んでいれば尚のこと、人、事物など様々なことが絵から思い描かれ、この絵の季節さえ変えてしまって、想像は限りなく続くでしょう。このように想像力があれば、沢山の情報(想像)をこのような素晴らしい風景画から得ることができます。

そんな典型的な例を、私はこの絵の作者(和田孝夫画伯)から聞きました。

私が住んでいる井田に老夫婦が住んでいました。息子夫婦は都会に住んでいます。老夫婦二人だけの生活を心配した息子は、自分たちと生活を共にしてもらうために、両親を騙して都会に連れて行きました。

何日経っても井田に連れ帰らない息子に老夫婦は苛立ちました。息子の気持ちを察した母親はとうとう諦めました。しかし、父親は「いったい、いつになったら井田に帰れるのだ!」と怒り始め、どうしても井田に帰ると言って息子の言うことを頑として聞き入れませんでした。

困り果てた息子はこの絵の作者・和田画伯に相談しました。自分の実家の絵を描いてほしいと。それで早速井田に行き、その立派で大きな古い家屋を心を込めて描きました。それを額装して送りました。

そうしたら、お父さんはその絵にすっかり心を奪われ、絵の中に過ぎ去った過去の様々な思いを見て取ったのです。そして頑固な思いは段々と和らぎ、帰るとは言わなくなったということです。

一件落着の良い話なんですが、ただ、この画伯は言いました。「本当はどんな死に様になっても、老人は生まれ育ったところで死ぬのが良いのだ」と。それもその通りなのです。私も賛成です。本当に難しいところです。一番良いのは、都会の便利な生活、裕福な生活を捨てて、息子夫婦が田舎に帰ってくるのが理想だと思います。

とは言え、その話は置くとして、こんな力が絵にはあるのだと初めて知りました。写真ではなかなかあり得ないことです。作者の一筆一筆の思いが込められる絵は、現実写真より、暖かみや深みや時間の経過さえ伝え、見るものに迫ってくるのです。これはまた芸術の地産地消みたいな話でもあり、共感しました。

私はこの世が崩壊して、すべての文明の利器が失われた状況になったときのことを随分前から想像していました。地道に農耕生活からやりなおさないといけないような、まるで縄文時代に帰ったようなことになったときに、人間はどういうものを壁にかけるだろうかと。

現代美術でしょうか。いいえ、それはあの美しかった過去の地球の風景画だと思いました。そのことと、この話はしっかり結びつくと思いました。いつかも話したかもしれませんが、現代美術は現代に生きる我々の病的な部分を挑発的に表現するか、あるいはそれを癒すためのものではないかと、、。その時代はそろそろ御終いかもしれないと思っています。そして、私はそろそろ風景画家に転向しようかと思っているこの頃です。

良い話の後に、何か寂しい話になりましたが、そうなったときの方が、幸せではないかと思います。この世の矛盾したすべても崩壊するでしょうし、死を免れれば取りあえずいっしょになれるでしょう。昔のように共感共生協力姿勢が増します。また、もう後戻りできない、つまり田舎が限界集落になるかのごときに、あの懐かしい地球は段々と崩壊しつつあると思えてならないのです。


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