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展覧会を終えて 3 人類三大隠蔽行為

今回の展覧会期中に、自ら展覧会作品写真を眺めつつ、「ああ、そうだった」と改めて気づいたことがあります。それは人類が持っている「三大隠蔽行為」についてでした。その発端は28年前の南仏エクスアンプロバンスのアパートのトイレの中でした。大便をしつつ、「何だかすごく動物的なことをしているなあ」と気づいたのです。また、どうしてこの行為を隠して行うのだろうか?と疑問に思いました。

また、ある夜には狭いベットの中でセックスに励んでいる時に、ハアハアと激しく何だか動物になったみたいだなあと思いました。大きな至福感のあることなのに、これもやっぱり隠してやるなあと思いました。

そうして動物的なことなのに、隠している行為のもう一つは「死ぬこと」だと思いました。共通しているのは、三つとも至福感があることです。死ぬことも臨死体験者の話には、これ以上の幸せはないと感じて吸い込まれるように光の中に入っていく様子がよく語られます。

隠して行うばかりでなく、この三つのことをどこでもここでも話していいわけでもなく、打ち解けた仲間内やあるいは深刻な話になったときにしか話題にしません。この三つからは常に距離を置くような姿勢が人間にはあるなあと思いました。

それが段々と気になっていつの間にか作品の中に登場したわけです。すると、人は「過激だ」と言い始めました。やっぱりどこか「いけない行為」みたいに見られている、あるいはおおっぴらにしてはいけないことのように思っているみたいなんだと改めて思いました。

これはパチンコ玉8000個と豚の血液が凍結した立方体が融解している様子ですが、血液を使っているという理由で市の文化協会の一部から「見たくない」あるいは「見てはいけない」と判断されたと今回の展覧会で知りました。拒絶されて嫌だという思いよりも、私とその人たちのその距離に驚きました。いろいろ理由はあったでしょうが、これも一つには血=死が関わるからだと思います。
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三つに共通するのは、動物的であること、至福感があること、生にとって非常に重要であること。そして隠すこと。どうしてこの重要な事実を人間は隠して生きているのか、そこにこそ人間にとっての大事なことが隠されているのではないかと思うのです。

また、動物的であることから逃れようとしているかのようです。しかし、確かに実際にこの三つから逃れるために科学の力で何とかしようとしています。身体的にもセックスレスがあったり、精子が少なくなったり、科学力で人工授精したり、、、セックスがなくても済むような感じになってきています。メスばっかりになっている動物もいるようですが、それが派生して将来的に男がいなくなる可能性もあります。医学が進歩して段々と寿命が延びたり、長寿の研究もされてこの先何百年も生きる可能性が出てきたり、死体を凍結して未来の科学力に頼ろうとしたり、、それが可能になれば、いつまで経っても死なないのかもしれません。排便だけはまだ研究が足りないのか、この至福感だけは残したいのか、排便行為を止めるような動きはありませんが、そのうち面倒だからと研究も進むかもしれません。

そうすると人間は段々と至福感から遠ざかるようにもなりますし、動物的であることからも離れていきます。段々何だか神に近くなっていくような気もします。先日書いた人工知能の話とも重なっていくようにも思います。

それでは一体どこから我々の至福感を得たらいいのでしょうか。神はそういうものは不必要なのでしょうか。

動物園に行って、もし猿が交尾をしていたら、親は子の目を覆ったりしませんか。そうでない親もいるかもしれませんが、「見たくない行為」「見せたくない行為」であるかのように振る舞うのではないでしょうか。まるで自分のことを隠すかのように。いままでそういう行為をしている人間として子供の前で振る舞ってもいないし、話してもいないので、突然の披露に混乱してしまうのでしょう。そこから性教育がはじまってもいいのですが、そんな準備はしてもいないし、どう説明していいのか混乱するでしょう。

これが女性器からイメージされたものであることは一目瞭然ですが、このシリーズだけは3畳くらいの小さな部屋に展示しました。大部分の人は何十枚もあるこの手の作品類をじっくり見ませんでした。何か都合が悪いような風でした。
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はやいうちからセックスのことを知るなんていけないことのように思っていますが、動物の世界はその壁がありません。目が見えるようになれば見ているわけですが、それで問題が起こるわけでもありません。何故、人間だけがそういう気を使うのでしょう。

もし、小さな子供の前で「お父さんとお母さんはあなたの弟か妹を作るために、これから頑張るからね。」と言って子供の前でセックスしたらどうなるでしょうか。最初はびっくりするでしょうけど、見慣れて来たら妊娠とか妊娠期間も理解して「今回はうまくいかなかったね。今晩もう一回頑張ってみて。僕応援しているから」と言うかもしれません。その子はひねくれた人間になるでしょうか。逆に動物としてのまともな感覚と知性を持った裏側のない人間に育つような気がします。

もし、例えば猿がセックスや排便行為を隠すように行っているとすれば、どうでしょう。一見、何だか人間みたいで面白い感じもしますが、何だか信用ならないどこか陰険さを秘めているように感じないでしょうか。たぶんそれが人間じゃないかとも思うのです。三つの行為を隠すようになって、人間は段々と胡散(うさん)臭くなったのかもしれません。

それとは逆に、生物学者(菌類学)で有名な南方 熊楠は嫌な客を追い払うために、その人の前で排便行為を行ったとどこかで読んだ記憶がありますが、確かに臭い行為ですが、胡散臭くはなく、何と正直で堂々としている人でしょうか。

これは自分のうんこを合成樹脂に埋め込んだものです。アーティストでなかったら、僕はこんな恥ずかしいことはしませんでした。アーティストの使命、アーティストの自由さがさせました。
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また江戸時代の学者で、名前は忘れましたが、人の前で奥さんとセックスをしたと書いてあるのをどこかで読んだ記憶がありますが、「見せたがり」と取る人もいるでしょうけど、何だか超越した人だなあと思います。

1950年代に、後に日本のヨガの先生として有名になる沖正弘がインドを旅している時に、畑の中で突然セックスを始めた夫婦を見かけた話を本に書いています。何とおおらかな。

そういえば、私がインドで汽車の旅をしているときに、100mくらい向こうの河原で三、四人の男性が腰を降ろして並んでこちらを見ている光景を何度か目にしました。何度も同じ風景を見たので、隣のインド人に何をしているのか訊きました。彼は笑って答えました。「うんこしているんだよ」外で、しかも見えるところで、他人と並んでうんこしていたのです。どういう感覚になるとああいう風になれるのでしょうか。

こういうことを考えたり書いたりしても、私がそういうことができるわけでもなく、やっぱり常識的に育ったので、その壁は厚いのです。せいぜい、うんこを作品として見せるくらいで、実際のトイレのうんこは見せたくないと思っています。アーティストの得なところは、アートと称してそういうことができることでしょうか。全然、得なことじゃないかもしれませんけど、あえて言えば、どこか正直になれるという得でしょうか。

もし、仮に全世界の人たちがこの三大隠蔽行為を隠さずするようになったら、どうでしょう。人によっては、当初はセックスを見たがるかもしれませんが、段々と慣れてくれば、飽きるかもしれませんし、それをすごく特別視することもなくなるかもしれません。すごく自由になって、本当に動物のようになるのかもしれません。この狂った世界を変えるには、三大隠蔽行為を隠蔽せずに、おおっぴらにすることかもしれません。(笑、いや本気、いや不可能、いやその前にゲームセット!)

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