スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

山の生活ー電気もなしで


困った時だけ、ガソリンで動く発電機を使っていますが、一日の大半は電気無しです。そうなるとどういうことが起こるのか?

夜に暗い中で食欲もわかない上に、電気をつけてわざわざ料理するのも面倒なときは、そのまま寝ますが、夜中に空腹で目が覚めます。それで早めの朝飯、ときに夜中の3時頃に食べたりします。週に一回くらいでしょうか。

寝る時間が夜9時から、朝の5時6時くらいまで寝床にいるので、暗い中で横になっていることが多くなりました。そのせいかどうかわかりませんが、何だかのんびりしてます。活動時間が短くなった分だけ、焦ると思うかもしれませんが、(自分でもそういう不安がどこかにあるのに)何だか逆なのです。

栽培をしていると、とにかく忙しくてせわしくて、気になることが多々あって、落ち着かないのですが、今年は春からそういう気分がどこかに行きました。失敗すればしたでいいと思っているし、今日できることをすればいいと思っていますし、明日のことまで心配することがなくなりました。もしかしたら、食べ物はそこらじゅうにあるし、金がなくなったらなくなったでいいと思うようになったせいかもしれません。金が無くなること=死  ではないのです。もしそれがあるとすれば、それは都会生活の中であって、田舎ではあり得ません。いまの気候や平和が続けばですが。

冷蔵庫がないので、食べ物に対して臭いを嗅ぐことが多くなりました。つまり、安全かどうかを五感を通して判断することが多くなったように感じます。

そもそも我々の五感は安全確認のために、備わっていたはずで、それが段々と日常生活が安全になるにしたがって、安全装置としての役割よりも、快感や快楽を得るための道具にし始めたんだと実感するようになりました。それはそれでいいのでしょうけど、快楽主義的な傾向が顕著になったのが我々の日常生活ではないでしょうか。

安全というのはすべてが発明されたものによって、保証されており、ガスは「みはり君」がいるし、保存料や冷蔵庫のお陰で腐ったものは食べずにすんでいます。自然の中では猛獣がいたりして物音には敏感でないと、命に関わりますが、そういうこともなくなったので、物騒な音に対する敏感さも昔に比べればないかわりに音楽を聴く耳は長けてきたでしょう。

味覚は安全か危険かの判断でなく、美味しいか不味いかの判断機能でしかありませんし、化学物質が入っているかどうかの判断などできません。ただし、もし安全な食物だけを幼少時から食べていれば別でしょう。ある親が言ってましたが、安全な水だけを飲ませていたら、コカコーラなど全く好まないそうです。

先日こだわりの料理人のことを書きましたが、その人は食育にも関わっていて、幼稚園の子供にだしの素で作ったスープと、手間をかけて作ったスープを飲ませると大半はだしの素の方を好むそうです。安全で栄養のある本当の味もわからなくなってきたのです。おかあさんの責任は重いです。

目はどうでしょう。もしかしたら、昔はもっと人を見る目があったと思うのです。聴覚も人の声の響きから来る人格を察知する能力も衰えてしまったように思います。

人間の進化は五感の発達であり、その結果が第六感の誕生だと思うのですが、これではどうみても快楽追求型感覚進化で、危険はすべて機械に任せる人間だけになってしまいそうです。人間の賢さが人間をロボット化させてしまったようです。
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

daiki

Author:daiki
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。